ブリティッシュヒルズは「バスでも行ける国内に、パスポートのいらない英国を創る」という壮大なビジョンを掲げ、平成6(1994)年7月に創業しました。以来、30年にわたり、米国同時多発テロ、東日本大震災、188bet体育_188bet体育在线@のパンデミックといった周期的に起きる社会情勢の転換期を乗り越えながら、リゾートと異文化研修の機能を兼ね備えるという前代未聞の施設を確立してきました。福島県という地域に根付くメディアの視点からブリティッシュヒルズの価値を報道し、活動を支えてきた人物にテレビユー福島元取締役放送本部長の藤間寿朗氏がいます。本稿では藤間氏と佐野元泰理事長がブリティッシュヒルズの30年間と新たな役割を担う未来への展望について語り合います。(本文中敬称略)
??昭和34(1959)年生まれの藤間寿朗は学習院大学卒業後、TBS映画社に入社。ADとしてバラエティ番組の制作をしていたが、報道への志が強かった藤間は、昭和58(1983)年に開局したTBS系列のテレビユー福島に転職。以来、報道畑で経験を積み、30代前半で1日のニュースをまとめるデスクという立場になっていた。一方、昭和45(1970)年生まれの佐野元泰は学習院大学を卒業し、平成5(1993)年4月に学校法人佐野学園に入職。ブリティッシュヒルズへ出向となり、創業準備に携わることとなった。そして、平成6(1994)年7月7日、福島県天栄村にブリティッシュヒルズが創業した。
佐野:藤間さんがブリティッシュヒルズを初めて訪れたのはいつでしたか?
藤間:平成5(1993)年に郡山支社から「天栄村に新しい施設ができる」という情報が入り、ブリティッシュヒルズの建設現場をニュースとして放送した記録が残っています。ただ、この時は私ではなく、別の記者が取材にお伺いしました。
佐野:創業前から紹介していただいていたのですね。
藤間:私がブリティッシュヒルズを初めて訪れたのは創業から数カ月後、自社の番組制作の下見を兼ねた打ち合わせの時でした。衝撃的でした。「よくぞこれだけの施設をこの福島県に……」というのが率直な感想です。山の上に現れた英国文化を彷彿(ほうふつ)させる壮大な建物。マナーハウスのロビーの荘厳な雰囲気。なんとも言えない重厚な匂い。その場に立ち尽くし、素晴らしさに圧倒されるばかりでした。
佐野:創設者の佐野隆治会長は「本物の英国を創る」ことにこだわりましたからね(※1)。
藤間:その時の感動が忘れられず、創業の翌年、平成7(1995)年の年末に放送された『関口宏の報道30時間テレビ』の「列島縦断中継」というコーナーで全国に向けてブリティッシュヒルズから生中継をしました。
中継を行うに当たり、川田雄基館長からブリティッシュヒルズをつくった経緯と意義、英国の文化について、たくさんお話を伺いました(※2)。こんな素晴らしい施設が福島県にあることを県内の人々に伝えていきたい。そして、知ってほしい。報道の人間として、純粋にそう思いました。それに、ブリティッシュヒルズは本物だから、絵になるんですよ。どこを写しても魅力的な映像が撮れる。伝えがいのある施設です。
佐野:藤間さんと親しくなったのは、平成7(1995)年の福島国体でしたね。川田さん、僕、藤間さんは学習院大学の卒業生。国体の開催地では、同窓会組織「桜友会」が国体に出席される天皇皇后両陛下をお迎えして、同窓会を開きます。川田さんが、僕と藤間さんにも声を掛けてくれて、同窓会に出席できました。
藤間:飯坂温泉でした。思い出深いですね。
佐野:同窓会の出席者は一人ひとり、天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)にご挨拶をさせていただきました。当時、僕は20代半ばでした。そんな若さで両陛下にお会いできたことで、その後は、どんな立場の高い方にお会いしても臆することはなくなりましたね。
※1 佐野隆治会長「パスポートのいらない英国を創る」
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※2 川田雄基名誉館長「本物の英国があることに誇りを持つ」
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佐野:藤間さんは、30年にわたり、本当によくブリティッシュヒルズをテレビユー福島の番組で取り上げてくれました。ブリティッシュヒルズは「落下傘部隊」なんです。僕も、川田さんも、そして外国人スタッフたちも福島県には縁もゆかりもない。上司である佐野隆治会長からも、「地元に根差せ」なんて言われたことなんて一度もありませんでした。
藤間:そうだったのですか。
佐野:創業当初のブリティッシュヒルズは集客に苦労した時期がありました。首都圏から呼べないから、福島県の人に来てもらおうと思っても、地元とのつながりがほとんどない。それで、いろいろなイベント企画を立てて、藤間さんを訪ねたところ、番組でも取り上げてくれるし、福島の他のテレビ局まで紹介してくれました。地元のメディアの皆さんにブリティッシュヒルズを知ってもらう窓口をつくってくれたのは藤間さんです。
藤間:当時、福島県内の方とブリティッシュヒルズの話をすると、「日本語が通じないのでは」「高級すぎて、敷居が高そう……」「会員制で入れないと思っていた」という声を多く聞きました。だから、そういったイベントの取材を通じて、県内の方々に「食事もできるし、泊まることもできる施設なんですよ」と伝えたかったんです。一方で、本物の英国にこだわる意義や趣旨も大切にしたかった。だから、ブリティッシュヒルズのコンセプトに合わない番組のロケはお願いしませんでした。私なりに「コンセプトをしっかりと守るべき施設」だと強く意識してきました。
佐野:188bet体育_188bet体育在线@では、「教科書にのっていない世界の授業」という企画を毎年夏に東日本の主要都市へキャラバンしていたのですが、各都市では記事やニュースで取り上げてもらえるように、新聞社やテレビ局にメディア訪問をしていました。地域メディアへの訪問が実践できたのは、ブリティッシュヒルズでの経験があったからだと思います。他にも困ったことがあると、藤間さんを頼ってきました。平成10(1998)年のイベント「UK98」では、ブリティッシュヒルズで福島弁のシェークスピア劇を上演しました。その時は福島市からのお客さんを乗せるバス会社まで紹介してもらいました。
藤間:ブリティッシュヒルズは基本的なコンセプトがぶれない。だから応援できるんですよ。少しでも役に立てればよいと思っている「勝手に応援団」ですね。
佐野:何か企画を立てると、まずは藤間さんにぶつけてみて、意見をもらってブラッシュアップする。とてもありがたい存在です。
??国際研修施設として認知度を徐々に高めていったブリティッシュヒルズだが、平成13(2001)年9月11日に発生した米国同時多発テロにより、さらに利用者が増えていった。海外渡航のリスク増大により、海外への語学研修旅行の需要が激減し、国内でも異文化環境を体験できるブリティッシュヒルズへの注目度が一気に高まったのである。2000年代後半になると首都圏を中心に数多くの中学や高校が宿泊型の語学研修を行うようになり、年間の客室稼働率は7割以上に達した。経営は順風満帆で、新たな宿泊棟も企画された。だが、平成23(2011)年3月11日、東日本大震災が起きた。
藤間:大地震が起きて、津波が襲ってきて、福島県では国内で誰も体験したことのない原子力発電所の事故が起きました。当時、私はテレビユー福島の報道部長を務めていたので、比較的早い時期に取材で警戒区域や東京電力福島第一原子力発電所に入りました。東京電力とは連日、取材交渉を行いました。現場では発表内容について、緊迫したやりとりが日々、東京電力との間で続いていましたね。
佐野:原発事故の後、天栄村の放射線量はすぐに平常値まで下がったけれど、やはり福島県内の施設ということで、風評被害で予約がキャンセルになり、宿泊は全滅でした。あの時は本当にきつくて、ブリティッシュヒルズを続けていけるのか、かなり悩みました。眠れなかったのはあの時が初めてのことでした。でも、外国人スタッフがブリティッシュヒルズに残ると決断してくれた。施設としても意義のある事業をしている。開き直って、やり切ろうと決意しました。
藤間:震災が起きた年の夏ぐらいに佐野理事長が福島市のテレビユー福島本社を訪ねてこられたと記憶しています。
佐野:行きましたね。藤間さんに県内の状況をいろいろと教えてもらいました。
藤間:ブリティッシュヒルズのスタッフの皆さんや188bet体育_188bet体育在线@の方々が、震災復興支援のボランティアを始めたのがとても印象的でした。
佐野:宿泊は全滅でしたから、それなら、福島県のために何かやろうということで、外国人スタッフが炊き出しをしたり、県内の学校に英語を教えに行ったりしました。188bet体育_188bet体育在线@の学生たちによる復興支援の教育ボランティアもしましたね。
藤間:佐野理事長をはじめ、188bet体育_188bet体育在线@は福島県に寄り添ってくれている。その取り組みを地域のメディアとして伝える必要がある。そう感じて、報道や情報の番組を通じて、ブリティッシュヒルズの取り組みを伝えました。
佐野:福島の子どもたちがすごく感謝してくれたんです。震災後のボランティアは本当にやってよかった。僕はブリティッシュヒルズの創業から10年ほど福島県に住んでいて、福島には特別な思い入れがあります。でも、震災後の活動で改めて福島県が好きになった。これからも本気で福島県と関わり続けたい、事業を続けたいと思ったのはあの時期でしたね。
藤間:震災後の6月に新しい宿泊棟「バラック」の建設を開始したのには本当に驚きました。
佐野:事業を継続しなければならない、と腹を決めたんです。福島県内ではおそらく、震災後、かなり早い時期での建設工事の開始だったんじゃないかと思います。
藤間:相当な決断だったと思います。私も短い間でしたが、関連会社の社長を務めた経験があります。経営判断するときってつらいですよね。ましてや震災の直後に新たな宿泊棟の建設を決めるなんて本当に大変なことです。
佐野:当時は、「やらなければならないこと」と感じていました。それに、震災後で学校研修がなかった時期は、福島県内からの一般客の方々がブリティッシュヒルズを利用してくれて、本当に助けられました。
藤間:ありがたかったのは、放射線量の高いエリアの子どもたちをブリティッシュヒルズに招いてくれたことでした。あの当時、お子さんのいる家庭は放射線量の少ない場所を探すのに必死でした。県外に避難する方もいたし、避難しないまでも県内で子どもたちを伸び伸び遊ばせる場所を探していました。だから、線量の低い天栄村のブリティッシュヒルズはうってつけでした。英国文化に浸れる非日常的な世界観のなかで、短い間でもほっとすることができ、子どもたちは屋外で思い切り遊べる。私たちもブリティッシュヒルズの取り組みを紹介したので、「良い機会だから行ってみよう」と思った方がいたかもしれませんね。
??東日本大震災から数年が経過し、ブリティッシュヒルズへの語学研修は徐々に回復していき、平成29(2017)年度には震災前の宿泊稼働率まで戻った。188bet体育_188bet体育在线@元(2019)年度には過去最高の来場者数を記録。だが、188bet体育_188bet体育在线@2(2020)年初頭から、188bet体育_188bet体育在线@の感染拡大が始まった。
藤間:コロナの感染拡大は都市部を皮切りに始まり、緊急事態宣言が出て、県境を越える移動は自粛が求められました。県外からの来訪者で成り立っている観光業、宿泊業、飲食業は壊滅的な打撃を受けました。
佐野:ブリティッシュヒルズも、感染拡大が始まってからの3年ほどはかなり厳しい状況が続きました。ただ、僕自身、東日本大震災で学んだことを思い起こし、やるしかないし、必ず戻ると信じていました。どこまで耐えられるかの勝負でした。
藤間:そして、戻りました。ブリティッシュヒルズが英語や英国文化を学ぶ場として唯一無二の施設だからです。実際、福島県内ではコロナ禍でやむなく事業の継続を断念せざるを得なかった宿泊施設もありました。でも、ブリティッシュヒルズは、ここでしか体験できないことがあるから、多くの人々が戻ってきたのだと思います。
佐野:唯一無二であるのは、30年間、こだわり続けてこられたから。本当にかけがえのないことです。
藤間:コロナ禍といえば、188bet体育_188bet体育在线@3(2021)年6月末から7月初め、188bet体育_188bet体育在线@「グローバル?リベラルアーツ学部(以下、GLA学部)」(同年4月開設)の「海外スタディツアー2.0」がブリティッシュヒルズで実施されましたね(※3)。
佐野:GLA学部では本来、入学直後に海外研修が予定されていましたが、コロナ禍で海外渡航が不可能になりました。そこで、海外の大学へオンライン留学する合宿研修を立案したのですが、そのプログラムには国内の課題について学ぶ被災地での震災復興研修を取り入れました(※4)。
東日本大震災での原発事故と復興についての双葉町への日帰り研修として、原子力災害伝承館と帰還状況の視察、被災地の方々との交流会、東京電力廃炉資料館への視察と東京電力ホールディングス福島復興本社の代表と学生の懇談を行いました。その数日後には復興本社とブリティッシュヒルズを結んで、東電社員と学生の交流座談会もオンラインで行われました。一連のコーディネートも藤間さんにお願いしましたね。
藤間:最初にご相談を受けた時、復興学習のプランに東京電力関係者との懇談は入っていませんでした。しかし、ブリティッシュヒルズは福島県にあるのだから、より踏み込んだ復興学習をしてほしいと思いました。当時は震災から10年。大学1年生であれば震災当時は小学校低学年です。震災や原発事故の記憶はない学生も多いはず。だからこそ、福島に来るのであれば、原発事故の現場と復興の状況を学んでほしかったのです。
佐野:藤間さんは、事故当時、報道部長として取材の最前線にいらっしゃった。
藤間:この研修で対応してくれた東京電力福島復興本社代表の高原一嘉さんは、原発事故後に東京電力の広報を務めていました。私は報道の立場として、よく彼と取材交渉をしていたんです。実は高原さんも学習院大学の卒業生。そんな縁もあったから、神田外語さんからGLA学部の復興学習の話を相談された時には直接、高原さんに相談して、快諾を得ました。東京電力としても、情報をオープンにして、復興に向けた原発事故後の取り組みを説明したいという姿勢が強まった時期でもあったのでタイミングがよかったですね。
佐野:そんなご縁があったのですね。
藤間:それと、私自身、福島県民として、いつ廃炉作業が完了するか心配しています。これから先、かなりの時間がかかると思います。だからこそ、若い世代に引き継いでいかないといけません。ぜひ、188bet体育_188bet体育在线@の学生さんたちに原発事故と復興の現状について学んでほしいという思いがありました。
佐野:原発事故後、アルファベットの“FUKUSHIMA”で検索すると原発事故の悲惨な情報ばかりがヒットする時期が続きました。GLA学部は世界の課題を解決することに挑戦する人材を育てることが目標です。原発事故についての学び、そして福島の今を英語で発信できれば、学生にとっても、福島にとっても大きな成果になると思いましたね。
藤間:被災地での震災復興研修は、私も同行しましたが、学生たちは本当に真剣でした。東電社員とのオンラインでの座談会も白熱した議論になって驚きました。被災地である南相馬市出身の学生が、原発事故と復興の現状について学んだことで、世間からの批判を浴びながらも復興に尽力する東電社員に感謝を伝える場面もあった。切実な想いを必死に言葉にする彼の姿は、強烈な印象として残っています。学生たちはきっと何かを感じ取ってくれた。とてもうれしかったですね。
佐野:強烈な実体験。僕は「実践的な教養」と呼んでいますが、実践で得た教養は人生を変えると思います。教室のなかだけではなく、現場での学びには心に伝わるものがある。とても大切なことだと思います。ブリティッシュヒルズも実践的な教養を育む場です。英国の環境で、外国人に英語を話して、通じた時の喜びがその後の英語の学びや進路に影響を与えると信じています。
※3 ※4 グローバル?リベラルアーツ学部 海外スタディツアー2.0
「平和を志す学びを止めないために」
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??学生たちが福島の光と影を学ぶ復興学習は大きな反響を呼んだ。その取り組みは、ブリティッシュヒルズという宿泊施設の枠を超えて、福島県と188bet体育_188bet体育在线@の包括連携協定締結という新たな道を拓くことになる。
佐野:福島県との連携協定について最初に意見してくれたのも藤間さんでした。
藤間:ブリティッシュヒルズは英国の文化環境を再現した教育施設であり、母体は外国語教育を専門とする大学や専門学校を持つ188bet体育_188bet体育在线@です。実は文部科学省のデータを見ると、福島県の中高生の英語力は全国的にも低いのです。言い換えれば、学校での指導法にも改善の余地があります。であれば、福島県と188bet体育_188bet体育在线@が正式に連携協定を結び、福島の子どもたちが英語の聖地、ブリティッシュヒルズで学ぶことを目指し、学校の先生方にも英語の教授法を188bet体育_188bet体育在线@で学べるようになればいいと、個人的に思っていたからです。
佐野:福島県との連携協定については、福島民報社社長の芳見弘一さんからも、原発事故に関する震災復興学習の実施についてお話しに行った時、「なぜ、これだけ立派なことをしているのに、福島県と連携しないのでしょうか? ブリティッシュヒルズが福島にあるという意義も含めて、県との連携を深めれば、もっと発信力が強まると思いますよ。ぜひ、連携してください」とご意見を頂いていました。県との連携協定なんて、思いもしなかったけど、藤間さん、芳見さんから同じことを言われ、なるほど、そういうアプローチもあるなと思うようになりました。
藤間:福島県もきっと求めていると思ったんです。先ほどの“FUKUSHIMA”というイメージの払拭(ふっしょく)もそうだし、浜通り地域には「福島イノベーション?コースト構想」のもと、ロボット開発や実証拠点となる福島ロボットテストフィールドのほか、福島国際研究教育機構(F-REI)など、グローバルな研究機関が相次いで設立されています。福島県の若者が英語力を高め、発信力を高めるニーズは必ずあるはずです。故に、ブリティッシュヒルズが福島県にある意義も高まっています。ブリティッシュヒルズは本物だからこそ、福島県と本物の関係になるべきだと強く思いました。
佐野:藤間さんのお考えの通り、福島県に打診したところ前向きな回答が返ってきました。そこからは、事務方のスタッフが頑張って、数十に及ぶ連携内容を県の担当者と共にまとめてくれました。
藤間:スタッフの皆さんは、とてつもない作業に追われることになってしまい申し訳ありませんでした(笑)。
佐野:188bet体育_188bet体育在线@としては初めて、都道府県との包括連携協定を188bet体育_188bet体育在线@5(2023)年9月8日に福島県と締結することができました。本当に藤間さんのおかげです。この包括連携協定は、ブリティッシュヒルズが次の30年を描くうえでも、とても大切な礎になると思います。福島県の子どもたち全員にブリティッシュヒルズを訪れてもらえることを目指します。体験してもらえれば、福島の子どもたちもきっと変わると思います。
福島県には東京にはないものが、たくさんあると思います。伝統文化、農林水産業、過疎、そして原発。それぞれは、たくさんの課題を抱えているけれど、東京に暮らす僕たちはそれを知らない。いわば、日本の課題を知らない。福島に来て、日本の課題を学び、英語で発表する。海外に行ったとき、自分の国の課題について英語で話せるようになる。福島県と一緒に実践的な教養を体得する地域のコラボレーションが実現できると感じています。
藤間:30年前、創業前のブリティッシュヒルズに佐野元泰さんが着任され、10年間福島に住んでブリティッシュヒルズの立ち上げをして、今がある。もし、ここでなく、専門学校や大学に勤務していたら、また違う展開になっていたでしょうね。
佐野:きっと今とは違う判断をしていたでしょうね。僕はブリティッシュヒルズで仕事を学び、考え方の軸を培った。そういう意味では、僕をここに配属した佐野隆治会長に感謝ですね。福島にいた10年間、僕はとても楽しかった。天栄村、そして福島県の方々が受け入れてくれて、支えてくれた。たくさんの友達ができて、いろんな経験をさせてもらった。だから、福島県への恩返しをできるだけやりたいと思っています。
藤間:ブリティッシュヒルズは大好きですから、引き続き何かお役に立てることがあれば、これからも尽力したいです。
佐野:ありがとうございます。思えば、ブリティッシュヒルズは、米国同時多発テロ、東日本大震災、188bet体育_188bet体育在线@感染拡大と約10年おきにターニングポイントを迎えてきました。藤間さんには、その都度、ブリティッシュヒルズの応援団として尽力していただき、我々は絆を深めてきました。ぜひ、これからもよろしくお願いします。
??包括連携協定の締結後、福島県と188bet体育_188bet体育在线@の間では、さまざまな事業が実施されている。
188bet体育_188bet体育在线@6(2024)年10月に開催された188bet体育_188bet体育在线@の学園祭「浜風祭」では、福島県がブースを出店。「福島の光と影」をテーマに県職員が地域の魅力や東日本大震災からの復興状況についてのプレゼンテーションを行うとともに、震災に関するパネルを展示した。
浜風祭では、学生主体で福島県の物産品販売も行われた。運営メンバーには3年前の188bet体育_188bet体育在线@3(2021)年にブリティッシュヒルズでの震災復興研修に参加した学生の姿があった。被災地である南相馬市出身で、東電社員との座談会で切実な想いを必死に言葉にしていた学生である。当時1年生だった彼も半年後には卒業を控える4年生になっていた。
「自分の人生の転機はあの研修で東電社員の方々と議論したことでした。大学生活の終わりに福島県のためにできることがあればと思い、物産品の販売活動に参加しました」。そう語る彼は、都内にある福島県の物産館の企画で通訳ボランティアも務めていた。震災復興研修の後、福島の復興活動に寄り添う活動をしてきたのである。
コロナ禍でも海外とつながる学びを実現したいという佐野元泰の想いと、「ブリティッシュヒルズは福島にあるのだから、より踏み込んだ復興学習をしてほしい」という藤間寿朗の熱い想いから実現した原発事故からの復興をテーマにした学習。「実践による教養」を学んだ機会は、社会へと旅立つ若者たちの心に大切な記憶を残しているのである。
昭和34(1959)年、神奈川県生まれ。中学生の時に浅間山荘事件の中継を見たのが報道を目指す原体験となる。昭和56(1981)年3月に学習院大学法学部卒業後、株式会社TBS映画社に入社し、番組制作の経験を積む。昭和58(1983)年9月、開局の1期生としてTBS系列の株式会社テレビユー福島に入社。以来、報道を中心に実績を重ね、平成19(2007)年より報道部長を務める。平成30(2018)年からは取締役を務め、188bet体育_188bet体育在线@2(2020)年に放送本部長に就任。188bet体育_188bet体育在线@4(2022)年6月に同社を退社し、グループ会社、株式会社MTS&プランニングの代表取締役社長に就任。188bet体育_188bet体育在线@6(2024)年6月からは同社顧問を務めている。