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多文化共生の架け橋となるために地元で奮闘中!

2008年3月に国際コミュニケーション学科を卒業しました原田捷子です。大学時代は語学の勉強とフラメンコに没頭する日々でした。卒業後は一般企業に就職しましたが、結婚を機に退職。その後、改めて自分の本当の興味が語学であることに気づき、自分自身を分析した結果、一生続けられる仕事として日本語教師を目指すことにしたのです。

養成講座に通いゼロから勉強し、修了後に就職。日本語学校の講師や小中学校の日本語指導員などを経て、今は子育てに奮闘しながら、自宅に駄菓子屋がある日本語教室をつくり、外国から日本へ来た子どもたちと日本語を勉強しています。?

日本語教師を目指したスタート地点

日本語教師を目指した理由として、私自身の生い立ちが関係しています。私は中国で生まれ、中国人の両親とともに小学校3年生の時に日本へ来ました。今でいう「外国にルーツを持つ子ども」です。日本へ来る前に少し日本語を勉強しましたが、テキストで学んだ日本語と実際に使う日本語は全く異なるので、相手に自分の思いを伝えることも全然できず、困ったことがたくさんありました。

今でも覚えているのは、運動会の準備を進めていたときのことです。セロハンテープが必要になる場面があったのですが、日本に来たばかりということもあり、道具箱をまだ持っていなかった私は、隣の席の友達に借りようと声を掛けます。ところが、「セロハンテープ」と「貸して」を日本語で何というのかがわからず必死に考えても、セロハンテープを指差して「これ、これ…」と言うことしかできませんでした。

また、中国では水泳の授業がなく、日本の学校で初めて習うことになるわけですが、プールの授業初日に「ラップタオル」や「スクール水着」といったいわゆる指定されているような道具や物の存在を知らず、普通のバスタオルと遊びで着用する水着を持参してしまい、結果としてとても恥ずかしい思いをしてしまったのです。

私が生徒たちと日本語を学ぶときは、言語そのものだけでなく、これまでの経験を活かした日本の習慣や注意点などについても話すようにしています。

子育てから始まったこと?その1:日本小屋の話

日本語教師の多くは、常勤ではなく非常勤講師として働いており、複数の学校で授業を受け持つことが一般的です。日本語を教え始めた当初は、専門学校や大学、大学院への進学を目指す学生が通う日本語学校で働いてきました。当時の日本語の教師の仲間から、「日本語指導員(市町村によって呼び方がことなります)」と呼ばれる、小学校で子供に日本語を教える仕事もあることを教えてもらい、私も子どもが出来るまでの間、週に数回ですが、日本語学校と小中学校を掛け持ちしました。

学校での指導の様子

しかし、子どもが生まれてからは生活が一変。非常勤講師として働いていた私は、産休や育休制度を利用することができず、仕事を離れて出産と子育てに専念することになりました。その間、しっかりと子どもと向き合うなど貴重な時間を共に過ごせたことは幸せでしたが、一方で、働くことも好きなので、子供と過ごす間、自分にできることは何かを真剣に考える時間でもあったのです。

そこで、子育てと両立できる仕事を探しました。しかし、日本語学校や小学校で働くためには、子どもを保育園へ預けることが一つの壁となって立ちはだかります。非常勤講師や日本語指導員の仕事は非正規雇用なので、0歳や1歳の子どもの入園が難しい状況でした。

考えた結果、自分で開業してフリーランス(個人事業主)として働けば、保育園の申請や仕事の両立が実現しやすくなると考え、事業の立ち上げを決心したのです。まさに現時点につながる「日本小屋」が誕生した瞬間でした。日本小屋がスタートして最初の大仕事は保育園の申請から。同時に、生徒の募集やレッスンの概要を盛り込んだホームページの作成など、開業の準備をこなす日々が始まりました。

次に、自分の得意分野から日本小屋として提供できるサービス188bet体育_188bet体育在线@を作ります。ターゲットはもちろん日本に住み、子どもを持つ外国人家庭です。中国のSNSサイトでお知らせを発信し、申し込んでくれた子どもたちに日本語レッスンを開始。

ところが、日本語の理解が進んでいない家庭が多いことに気づき、生活面で苦労している様子がうかがえたことから、次のステップとして親御さん向けに子どもの幼稚園探しや手紙の翻訳などのサポートも提供するようになりました。そして、ようやく慣れてきた矢先のこと、コロナ禍が始まり、再び振り出しに戻ることになってしまったのです。それでも、せっかく覚え始めた日本語を忘れてほしくないという気持ちもあり、オンラインレッスンを始めてみました。

普段の授業では、写真や実物、絵カードなど様々な教材を使用するため、オンラインでの実施は難しいと考えていましたが、実際に試してみると意外にもうまくいくことに気付きました。しかし、教えることを職業にしていると、やはり対面での指導が望ましいと感じることもあり、みんなで交流しながら集まれる場所として、いつかは実際の教室を作る夢を描き始めたのです。

みんなで教室の壁塗りをしました

子育てから始まったこと?その2:八千代台のフリーペーパー「ReATTA」の話

私は千葉県の八千代市に住んで約20年になります。中学卒業後に引っ越して来たので、知り合いはほとんどいませんでした。特に不自由なことはなく普通に生活していましたが、子どもの成長とともに考え方や見え方に変化を感じるようになりました。以前は、風邪をひいても大人だけなら市販薬で済ませていましたが、子どもは病気にかかりやすいので、信頼できるかかりつけの医師を探しました。お薬も処方されますので、薬局の薬剤師や店員とも顔見知りに。さらに、市の子育てセンターに通うようになり、近所のママなどとの交流も増えました。

子育て支援が市町村ごとに異なることにも気付き、国政だけでなく市政にも興味を持ち、地域のことをもっと知ることが、住みやすさにもつながると考えるようになったのです。そういった心境の変化を感じながら近所を散歩していると、働いている時には気づかないような景色も見えてくるようになりました。

ある日のこと、「八千代台まちづくりプロジェクト」というポスターを発見し、それがきっかけで、八千代台の「あった」を再発見するフリーペーパー「ReATTA(リアッタ)」の制作のお手伝いをすることになりました。自分が地域に発信できることを考えた結果、外国人住民に焦点を当てたコーナー「Youは何しに八千代台へ?」の担当に。まちの中にある外国のお店やショッピングモールで働く外国の方を取材し、その情報を発信することで、地域住民と外国人の相互理解に少しでも力になれればと思ったのです。

子どもと一緒にまち中を歩く時間が増えたことや、フリーペーパーの編集に関わり始めたことで自分が住んでいる街への興味が益々高まり、徐々に地元愛が芽生えていきました。

(Vol.11より)

そして、二つの話が交わって、リアル日本小屋の誕生!

「ReATTA」を通じて、八千代台には思っていた以上に外国の方が暮らしていることがわかりました。さらに、子どもが小学生になり、学校行事やPTA活動を通して、学校にも外国つながりの子どもが多くいることもわかったのです。オンラインで日本語を教える仕事を続けながら、近くにいる子どもたちと対面でできる活動をしたいという気持ちが日に日に強くなりました。

そこで、

「世界は広いぞ!楽しいぞ!」

「八千代台だってグローバルだ!」

ということを地域の人に知ってもらいたくて、近隣からでも参加できる国際交流の場として、リアル日本小屋を立ち上げたのです。

日本小屋のミッションは3つ。

?外国の子どもとその親御さんに日本語を学べる、気軽に相談できる場所を提供すること。

?日本人の子どもたちに、身近にいる外国の人の存在を知って理解するきっかけを作ること。

?まちの多文化共生を促進し、みなが住みやすい環境作りの役割を果たすこと。

これまでの人生で、楽しかったことや苦しかったこと、うれしかったことや悲しかったことなど、様々な経験をしましたが、今は自分の好きなことを仕事にして楽しむことができています。大きな使命を掲げていますが、自分の身体は一つしかありません。だから、できる範囲で着実に、じっくりとおばあちゃんになるまで頑張りたいと思っています。

大学はたくさんのことを学べる場所(在学生へのメッセージ)

私は、英語が好きで語学をもっと学びたいと思い、188bet体育_188bet体育在线@に進学しました。新入生ガイダンスで、当時の学科長だった先生が「大学はビュッフェレストランのようなものです。自分が消化できる量を考えながら、たくさん学んでください!」とお話されたのがとても印象的でした。

会話を通じた人とのコミュニケーションはもちろん、これからの社会でコンピューターとのコミュニケーション(スキルやリテラシーなど)も必要と考え、国際コミュニケーション学科を選択。専攻は英語、コミュニケーション、コンピューターなどでしたが、フラメンコ部に入部したことでスペイン語に興味を持ち、トライ?スペイン語の講義に挑戦したり、忘れかけていた中国語を学び直したりと、様々な講義に積極的に参加しました。

ただ、在学中に日本語教師養成課程に気づかず、卒業後に受けておけばよかったと後悔したのは言うまでもありません。在校生の皆さんには、広い視野と探求心を持って、様々な講義を受講することをお勧めします。学びは一生続くものだと思いますが、大学生の特権は、様々なジャンルの話を好きなだけ聞けることです。そこで得た知識は、将来何かのヒントになる可能性もあります。

そして、大学の友人は仕事を通じてできた友人とは少し違います。彼らは一瞬で懐かしい時代へと戻ることができる素敵な仲間です。子どもができると会う機会が減りますが、時々やり取りするLINEや年に一度の年賀状の一言でも、お互いが成長していることを感じさせてくれますし、そして励みになります。

また、ホームカミングデーが開催されているのも、定期的に集まる良い機会です。子どもを連れて行くと、広々とした芝生で遊べるので、キャンパスの良さを再び感じることができます。

同窓生の皆さんとこのような素晴らしい経験を共有し、つながっていることが嬉しく、188bet体育_188bet体育在线@に入って、本当に良かったと思っています。在学生の皆さん、大学での学びを存分に楽しんでください。皆様が大学での経験を最大限に活かし、充実した人生を歩んでいかれることを心から願っています。

 

2008年3月卒業
国際コミュニケーション学科
原田 捷子

ご 紹 介

八千代台のフリーペーパー「ReATTA」
https://yachiyodai-machi-llc.com/reatta_new/

?八千代台地域を対象にした情報誌です。最新号19号(3月1日発行)では、まちに増えつつあるアジアンレストランなどを全力で取材しました。見開きの特集記事にはアジア散歩マップも掲載されていますので、お気に入りのお店を見つけてみませんか?