みなさんこんにちは。2004年度卒業の井上です。卒業後、ハワイ、日本、ベトナムと3か国を転々としながら3人の子供を育てていますが、それぞれの国の良さと共に、改めて日本の文化や伝統の良さを再認識する日々です。今回は、みなさんに各国の良さをご紹介します。
卒業後はハワイで充実した毎日。でも出産は日本で
在学中に同大の留学生だったアメリカ人の彼と知り合い、2006年に入籍。移住先として選んだのはハワイ。海も山もきれいな土地で仕事にも困らず、日本食材も簡単に手に入るこの場所は私にとって理想的な場所でした。しばらくするとおなかには新たな命が宿り、順調に大きくなってきますが、同時に産後の生活環境を考えるといろいろと悩ましい問題もあったので、日本で出産することを決心。
実は、何となくどうにかなるだろうという考えが頭の片隅にあったのだと思いますが、日本の産婦人科事情を全く調べず、予約もせずに妊娠中期で帰国し病院を訪ねるのですが、受け入れてくれる産科がほぼないことに愕然とします。
焦りが募る中、知人に紹介してもらった総合病院で何とか予約が取れ無事に出産。ホッとしたのもつかの間、床上げ※まで実家で育児を手伝ってもらいながら夫と合流する準備を整え、東京に移ります。東京での子育て環境は快適。子育て支援センターや児童館など子供や親同士の交流の場が多く、また、オムツ替えの台や授乳室の充実など医療費の助成含め、小さな子供を抱える親としては大変助かることばかりでした。
※アメリカには産後床上げまで1か月という習慣はあまりなく、短期間で復帰することなど考えながら動いていく必要があるので注意です。また、乳児の保育園探しは日本と同じくらいもしくは州によってはそれ以上に深刻です。出産前から保育園を抑えていないと仕事復帰したくても手伝ってくれる家族がいなければできません。また、ハワイでの場合ですが乳児の保育はかなり高額なので、働かないで主婦になる選択を取る方も多いです。(日本と同じで親の収入によって異なりますが、月15万円ほどはかかると思います)
震災の影響でベトナムに移ることに。慣れたころに再度ハワイへ?!
第2子の出産で茨城の実家に帰っていた2011年3月のこと、東日本大震災が発生。混乱する中夫にベトナム勤務の辞令が出ます。大地震を体験しいろいろと落ち着かない中、急いで準備を整えベトナム?ホーチミンへ生後数か月の息子と2歳の娘を連れて移ることに。
到着後まず驚いたのはベトナムの幹線道路。右を向いても左を見てもバイクの山!台数もさることながら、中には逆走したり歩道を走る人もいて、交通ルールがないのでは思うほどです。そんな環境で生活するベトナム人の人柄はどうなのかな?と不安を覚えますが、そんな心配は全くありません。ベトナムの人は子ども好きが多く、温かい目で見守り他人の子どもでも可愛がってくれる人ばかりですので子育てしやすいなと感じていました。
ベトナムの生活にも慣れ始めたころ、再度ハワイへ戻ることに。経済事情が一変するため、移って間もなく近所の保育園に子供を預け、日本語情報誌の出版社に編集者として働き始めますが、仕事は多忙を極め、締め切り前は帰宅が深夜になることも。やりがいはありましたが育児との両立には厳しさを感じました。
そんな時です、以前お世話になっていた観光交通会社から戻ってこないかと声がかかります。この会社は子育て環境にとても理解があり、仕事をきちんとこなしていれば、子どものスケジュールに合わせたフレキシブル勤務が可能という好条件。子供のことを考え転職することに。ハワイは物価、地価、医療費、学費、すべてが高く、子どもたちの成長と共に出費が増えるため第3子の時は出産当日まで働き、産後間もなく職場復帰したほどです。
またまたベトナムに戻ることに。景色が激変していました
3人目が1歳を過ぎたころ、夫にベトナムでの事業の立ち上げに携わらないかと声がかかります。振り返ればハワイ在住歴を換算すると約9年。すっかり慣れ親しんだこの地は私たちにとって第二の故郷のような場所。少し戸惑いはあったものの、子どもと接する時間が増やせること、アメリカや日本ではできない経験をさせてあげられるのではという期待から、これはチャンスと捉え再びベトナムへ戻ることに。子供たちは友達と離れることになるので心配でしたが、あまり嫌がることもなかったので安心して引っ越すことができました。
戻ったといっても6年ぶりのベトナムです。高層マンションが建ち並び、おしゃれなカフェやお店、ショッピングモールが次々にできて見違えるほどの大都市になっていてビックリ!おまけにUberのような配車&フードデリバリーアプリも豊富になっており、端末ひとつで車もバイクも配車可能、ピザやラーメン、コーヒーなどの飲料も1杯からデリバリーが頼めるようになっていました。日本人在住者も増えており食材の入手も困ることがありません。
一方、子供たちはインターナショナルスクールに通っていますが、50カ国以上の国から来ている子どもたちと学びながら世界を身近に感じられているようです。末の娘も長女が通っていた時と同じ日系の幼稚園で日本の教育を受けています。子供たちを通じて折り紙や日本語の絵本を読んだり祝日を祝ったりなど、日本の伝統や魅力に改めて気づくことも多くなりました。
長女が生まれてから13年、3カ国を行ったり来たりしながら子育てを楽しんでいます。子どもたちとの旅行も楽しくなってきた矢先のコロナ禍。海外旅行どころかしばらく日本やアメリカへの帰省も叶わない状況ですが、近い将来また普通に世界を行き来できる世の中が戻りいろいろな経験ができることを願っています。
2004年卒業 英米語学科
井上 賜子