仲代表の「グローバルの窓」

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最終回 南洋と日本のグローバル化(5)Thinking about Japan’s globalization(5)

2025.01.06

グローバリゼーションの変遷

 思い起こせば、次のようなことばを配属先の部長から掛けられたのが私の社会人の出発点でした。

「仲君もいよいよこれから貿易マンになるんだな。しっかりがんばって仕事をしてくれ」  

 (えっ、貿易マンになるんだ?!)と内心驚きました。海外で仕事をしたいから海外事業グループを希望し、ドイツ語を勉強したから欧州を希望し、希望がすべて実現した配属となりました。それはとても嬉しかったのですが、部長の言葉には大きな違和感がありました。

 私の配属先は、欧州で量販商品を販売する欧州部でした。量販商品とは、ファックスや携帯電話やパソコン等を指します。一年前にできた新しい部署で、それまで会社では、通信の基地局、電話交換機、海底ケーブルなどインフラ系の販売が中心でした。1980年代に入って、オフィス機器の需要が大きくなり、新たな部ができたのです。インフラ系の商品は、日本で製造したものを海外へ輸出するビジネスでした。政府や官庁など特定少数への販売で、販売価格が何十億、何百億円もする規模です。しかし、量販品は不特定多数へ販売し、販売価格は1台当たり何万、何十万円のレベルです。それを一つ一つ輸出で対応していたらとても商売になりません。即納を求められますので、現地に在庫を持ち、市場に密着する必要があったのです。冒頭の部長の言葉は、インフラ系の商売の頭のままで発したものでした。

 当初、U.K.だけに現地法人がありました。しかし、U.K.からドイツなど欧州大陸へ出荷していても顧客の納期に応えるには限界がありました。そこで、ドイツ、フランス、スペイン、イタリアと次々現地法人を設立、展開し、対象市場を広げていきました。

 そのうち各国での商売が大きくなると、今度は欧州地域で事業を統括する必要がでてきました。EU統合の動きもありましたのでなおさらでした。やがて地域統括会社を作り、そこから欧州全域を統括する体制を敷きました。販売は各国ごとに対応し、経営全般は地域統括会社で行うという体制です。

 ここまでは、輸出志向型から現地法人型、地域統括型というように、あくまで日本の本社を軸にグローバルに展開する道筋です。多国籍企業と呼ばれる企業のパターンです。しかし、グローバル化が複雑になるにつれ、グローバルな視点で事業を最適に展開する考えが台頭してきました。グローバル企業というのはこのケースです。たとえば、A国で原材料を調達、B国で開発、C国で生産、D国で販売、という具合です。各国の優れた機能を活かし、最適の人材を当てていくのです。視点が国や地域ではなく、グローバルな点にあるのが特徴です。ここまで実行できている日本企業はほとんどないのではないでしょうか。その理由は、そうした組織を構成するのは人なので、価値観や考え方の違いを調整する必要があるからです。異文化が絡むことで事業は複雑になり、舵取りが難しくなります。

逆流のグローバリゼーション

 一方、最近は少子高齢化の動きから外国籍社員の活用が重要視されています。特に建設、設備業界は喫緊の課題となっています。これまでの日本企業のグローバル化は、日本から海外へというベクトルでしたが、ここにきて海外から日本へという逆流のグローバリゼーションが起こっています。運輸業界のインバウンド対応なども逆流の動きです。

 それまでのグローバリゼーションはいかに日本人が海外で現地のスタッフとうまく業務を進めていくかがポイントでしたが、逆流のグローバリゼーションでは、いかに外国籍社員に日本での業務を円滑に遂行させ、定着させるかがポイントになります。ここで注意しないといけないのは、日本で勤務するのだから、日本に合わせろという姿勢に陥ることです。グローバル化の波は逆方向にも押し寄せているので、外国籍の方と一緒に仕事をする意味と必要性を考える段階にきています。「日本に合わせろ」という一方的な考え方は、業務を進める上でもはや通用しません。お互い尊重し合い、日本語にも配慮する必要があります。

 「やさしい日本語」という言葉があります。これは固有の概念でもあります。阪神淡路大震災をきっかけに生まれた言葉です。当時、日本にいた外国人が日本語を理解できなかったため、避難所やライフラインの情報を受け取れず、被害を受けました。この出来事を発端に、日本語に不慣れな外国人にすばやく簡潔に、かつ的確に情報を伝える目的で「やさしい日本語」が考案されました。たとえば、「避難」は「逃げる」、「有料」は「お金がかかります」という具合です。日本人にとっては当たり前に使っている日本語が、外国籍の方にはわかりづらいのです。

 これからのグローバル化を考えるとき、私はこの逆流のグローバリゼーションを考える必要があると思っています。コロナ以降、オンライン会議が頻繁に行われるようになりました。それまでは出張に行く人が対応していましたが、日本にいて対応を求められる時代に入りました。ここにもこれまでにないグローバル化の流れが生まれています。

新たな価値観の模索

 私は、太平洋戦争で日本の価値観は一旦リセットされたと思っていましたが、実は戦前の価値観は、戦後でも何ら変わっていませんでした。「成長し、儲ける」という発想は続いていたのです。何のことはない、「富国強兵」の「強兵」が消滅しただけで、戦後もひたすら「富国」に走っていたのです。日本は明治維新以来ずっと工業化社会をめざしていたので、当然といえば当然のことです。しかし、その後IT社会を経て、今やAIとスマホの時代を迎えています。これまでの改善や正解を求めるやり方では社会の課題を解決することができなくなってきました。課題を発見、解決する構想力が必要となってきているのです。

 グローバリゼーションの方向が一方向ではなくなり、また、日本にいても異文化理解が必要なのが今の社会動向です。世界は多極化、多様化し、欧米だけを見ていればいいという時代は終わりました。もっと本質を考え、人間の心に届く何かを考えていくことが求められています。どちらが上、どちらが下、あるいは、勝った、負けたという発想ではなく、お互いを尊重し、フラットに行動する姿勢を持つ必要があります。人間の根源に響く共感、価値観が求められています。

グローバリゼーションにおける心の拠りどころ

 最後に南洋の空気感に浸かり、詩を、生を取り戻した詩人、金子光晴のことに触れたいと思います。

 惨憺たる放浪の果てに蘇った魂が発した金子光晴の『ニッパ椰子の唄』という詩には、倨傲も誇りもなく、ぎりぎりのところで自己を掴み、かけがえのない生の感じだけがあります。近代の西洋思想にはない「我なし、故に我あり」という東洋の「無」の思想です。また、「しゃぼりしゃぼりとさびしい音を立てて尿をする」娼婦たちを想って創った『洗面器』という詩では、ひたすら生きている南洋の女性を謳い上げています。生きることは概念ではありません。何のために生きていくのか、自分の存在意義は何か、と問う人は既に生きていける側にいるのです。人生とは生きていく、ただそれだけです。生きることはそんな高尚なことではないと思います。

 金子光晴の『ニッパ椰子の唄』や『洗面器』には理屈を超えた南洋の素の世界があります。学問もビジネスも生きる上ではあってもなくてもどうでもいいのです。取るに足らない日常こそが生にとってはかけがえのないことなのです。光晴の詩は、南洋が今も我々に語りかけてくる真実を伝えています。南洋の空気感、その臭いこそが光晴の心に生を蘇らせました。私もその空気感をフィリピンやシンガポールにいた時、大いに感じました。それは理屈では説明できないことで、「空気感」としか言いようのないものです。懐かしさ、喜び、安堵感、気怠さ、開放感、淋しさといったものがない交ぜになった感覚です。経済競争に追われていては決して味わうことのできない感覚です。日本の競争社会に浸かってしまった日本人が子供の頃に感じていた空気感に近いかもしれません。

 日本人がこれからの社会をグローバル化へと進めていく際に、心の奥底に持っておきたい感覚だと私は思います。それは日常、現場の感覚です。そこに立脚すれば、おのずと相手を尊重し、多様な考え方を受け入れる心が生まれます。グローバリゼーションとは、畢竟、心の持ち方ではないかと思います。「いかに柔らかく、芯を強く持つか」。そのために南洋の空気感は日本人の心を解放してくれるとともに心の拠りどころにもなり得ると私は思っています。

圧倒的な南洋の空気感

 ここに金子光晴がシンガポールからマレーシアのバトパハへ向かった際に南洋の空気感に触れ、喜びを表現した文章を掲げます。光晴が十年ぶりに詩人として復活、再生する瞬間です。

 乗合タクシーで出発の時間を待って空地にいると、光が盤石の重たさで頭からのりかかってきて、土地の体臭とでも言うべき、人間以外のものまでみないっしょくたになった、なんとも名状できない漿液の臭気に、この身をくさらせ、ただらせようとかかるのであった。「ああ、この臭い」と、気がついただけで、三年間忘れていた南洋のいっさいが戻ってくるのであった。(『西ひがし』)

この圧倒的な南洋の空気感!この臭いこそが光晴の心に生を蘇らせました。

このブログはこれでおしまいです。長い間ありがとうございました。

最後に私が南洋のことを想って作った句を掲げ、ペンを擱きたいと思います。

南国のしあはせバナナあれば足る    仲 栄司

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