文人の従軍、徴用
前回書きましたように、南洋(東南アジア)は太平洋戦争前に俄かに浮上しました。その頃の日本は既に国家総動員法が施行(1938年)され、国民すべてを呑み込んで総力戦へ突入していました。戦争一色となる中、文人は当初は日中戦争へ従軍し、士気高揚を図りました。その代表的作家が火野葦平と林芙美子でした。二人とも庶民の目線で書く小説家で、作品は爆発的に売れ、結果的に軍の片棒を担ぐかたちになりました。そのことが、敗戦後、二人に大きな苦悩を背負わせることになりました。林は五十歳手前で亡くなり、火野は自殺(1960年)しています。しかし、林は『浮雲』で、火野は『革命前後』で自身の戦争への贖罪、決着を図ったように私には思えます。
太平洋戦争が起こってからは、「国民徴用令」が発せられ、井伏鱒二や高見順など多くの作家が南方へ派遣されました。いわゆる南方徴用作家です。彼らは主にマレー、ビルマ、ジャワ、ボルネオ、フィリピン、シンガポールに分けられました。先行した火野や林ものちにそれぞれフィリピンやジャワに飛んでいます。
井伏鱒二
たいていの南方徴用作家は、とってつけたような「大東亜共栄圏」に理解を示し、宣伝しました。しかし、その中にあって井伏鱒二は庶民の感覚を失いませんでした。井伏はマレー戦線に従軍し、シンガポールに入りました。従軍中もシンガポールに入ってからも、内地の新聞雑誌社へ送る原稿は、いちいち宣伝班の尾高少佐から検閲を受けなければいけなかったようです。「私の書くものは、遊びの気分に傾き戦意高揚の気に乏しいとのことで、たいてい五回に四回くらいの割で検閲を通らなかった」(『徴用中のこと』、『海』昭和53年5月)と述べています。マレー戦線やシンガポール陥落の華々しい戦果のことは全く書かず、日本軍統治下の平和なシンガポールの日常を淡々と書きました。戦時下に出版した『花の町』です。文壇は、「流石に井伏だ。こちらにいるときと同じ気持ちで書いている」と喝采しました。戦争のような悲惨な出来事も客観的に描写し、力みがありませんでした。井伏は統治下のシンガポールを描くことで、虚構に満ちた戦争の実態を静かに暴いてみせました。
ところで、井伏は日本軍がシンガポールを陥落させた後、一年弱ほどシンガポールに住んでいました。私が出向時に住んでいた所から歩いて五分ほどの近さで、オーチャード通りという目抜き通りの裏側に位置する静かな所でした。職場の「湘南タイムス」は、シェントン地区という今は高層ビルの立ち並ぶエリアにありました。したがい、井伏の生活圏は街の中心地でしたが、どこに住もうが自分のペースで日常生活を過ごし得る作家だったようです。シンガポールは南方戦線の主力拠点でしたので、国家の存在をより身近に感じたはずですが、井伏は国家と距離を置き、日常感覚を失いませんでした。
『遥拝隊長』では、「あれを見い。マレー人が、わしゃうらやましい。国家がないばっかりに、戦争なんか他所ごとじゃ。のうのうとして、ムクゲの木を刈っとる」と兵隊に言わせています。マレー戦線で井伏が目にした光景なのでしょう。あくせく働く日本人とはちがう南洋特有の気怠い現地人の姿です。井伏も金子光晴と同様、南洋の空気に共感していたように思います。のちに原爆小説『黒い雨』を書き、そこでも「わしらは、国家のない国に生まれたかったのう」と駄目を押しています。
国家や本社と現場
海外に住み、仕事をしていると否が応でも日本という国を意識します。自分の言動一つがともすれば日本人を代表するかのように見られます。まして戦争中は国家を背負って戦っていたのですから、井伏への圧力は相当なものだったでしょう。今の時代では、国家を背負う感覚はほとんどありませんが、会社を背負う感覚はあるかもしれません。私の中にもそうした感覚はありました。また、日本企業、日本人の代表の一人という意識がありました。
「本社をみて仕事をする」というのはその感覚とは少し違うかもしれませんが、同根の部分もあるかもしれません。あるとき本社から「モトローラのイタリアでの活動状況を詳しく教えて欲しい」と依頼がありました。イタリアの同僚に協力してくれと頼むと、「それを本社に伝えてどんなフィードバックがあるんだ」と言われました。私は質問の目的など考えず、本社が訊いてくるから現地にいる者として調べるのは当然と思ってしまいました。しかし、イタリアの同僚は、「イタリア市場のことは俺らがやっている。俺らがやっているのに何でそんなことまで本社が知りたがるんだ」という疑問でした。
本社と子会社、中央と現場の関係性はいつの時代でもテーマになり得る課題です。そんな時、井伏鱒二の生き方が現場で活動する者として一つのヒントになり得るかもしれません。あの戦争中に検閲に何度も引っ掛かりながら、日本にいる時と同じ感覚でシンガポールに暮らし、日常風景を書いていたのです。国家を向こうに回しての井伏の態度は、グローバリゼーションを考える上でも参考になり得ます。国家や本社は、現場を無視し、自分の都合で高圧的な要求を時々発します。現場は自分たちの手先くらいにしか考えていないと思うことも多々あります。そんな理解のない中央には日常や現場の姿勢を失わないことが大切だと感じます。現場サイドの矜持を抱くということです。井伏とイタリアの同僚から、日常(現場)感覚と矜持を抱くことの意義を感じます。このこともグローバルに活動する際に肝要なことだと私は思います。