歌手?女優?ファッションアイコンのジェーン?バーキン氏への追悼の意味を込めて、フランスの最高級ブランド、エルメス(Hermès)の人気バッグ、「バーキン」と「ケーリー」を例に取り上げ、その歴史を紐解きます。
ジェーン?バーキンとエルメス
2023年7月16日、歌手で俳優、そしてファッション?アイコンとして世界的に知られたジェーン?バーキン(Jane Birkin)氏がパリで亡くなりました。彼女の名前は、高級ブランド「エルメス」を象徴するバッグのひとつにも冠されています。
エルメス社は、バーキン氏に追悼の声明を出しました。「親しい友人、長年連れ添った友を失いました。共通の感性で私たちはお互いを知るようになり、ジェーン?バーキンの柔らかなエレガンスから、彼女がアーティストであり、献身的で、広い心の持ち主で、世界と他者に対する自然な好奇心をもっていることを認識し、称賛していました」
バーキン氏は1946年12月14日生まれで、英国ロンドン出身。1966年に出演した映画「欲望」が第20回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し注目を集めました。フランスに移住後、パートナーとなった歌手?作曲家セルジュ?ゲンズブールとのデュエット曲「ジュ?テーム?モワ?ノン?プリュ」を1969年に発表し、歌手としても注目を浴びました。
彼女が出演した映画は60作品以上にわたります。主な作品に「ジュ?テーム?モワ?ノン?プリュ」「ナイル殺人事件」「右側に気をつけろ」「美しき諍い女(いさかいめ)」など。
ジェーン?バーキン「哺乳瓶がすぐ取り出せるオシャレなバッグが欲しい」
エルメスの高級バッグとして極めて有名な「バーキン」の歴史は、1984年、パリとロンドンを結ぶ飛行機の中で始まりました。このとき、ジェーン?バーキン氏は、エルメスの社長ジャン=ルイ?デュマ氏(4代目社長在任期間:1978年~2006年)と機内で偶然隣り合わせとなりました。
そのとき、母親になったばかりのバーキン氏は、忙しく世界を飛び回りながら子育てをしている最中でした。彼女は、身の回りの物を収納して哺乳瓶を直ぐに取り出せる「おしゃれなバッグ」がないことを、エルメスのデュマ会長に嘆きました。
デュマ氏は、眼識(がんしき)があり、生まれながらにしてクリエイティブな才能に満ち溢れていました。バーキン氏の話を聞いた彼は、すぐさま、しなやかで収納力があり長方形のフォルムの特別なバッグをスケッチ/デザインしたのです。
そのバッグには、アスティカージュ(艶出しのロウ止め処理)による縁仕上げのフラップ(かぶせるフタ)とサドルステッチ(糸を表?裏から8の字状に縫い合わせる縫製技術)が施されていました。しかもバッグには、バーキン氏の切なる要望をとりいれ、哺乳瓶のためのスペースもきちんと備え付けられていました。ジェーン?バーキン氏の名前を冠したエルメスの高級バッグ「バーキン」の誕生です。
高級バッグ「バーキン」は、フラップを開ければ大きく開口部が開き、哺乳瓶を容易に取り出せます。たとえば、カフェの床に置いても汚れないように、安定感の高い底部には頑丈な底鋲が打ってあります。バーキンは内縫い構造のため、ぶつけたりしても大丈夫なようにパイピング(パイプ状の加工)で角部分を柔らかく仕上げてあります。ジェーン?バーキン氏が希望したとおり、エレガントでありながらマザーバッグとしても使えるだけの、実用性を重視したのがこのバッグの大きな特徴です。
エルメスの最初のプロトタイプ「オータクロア」
さて、「バーキン」と並ぶエルメスのもう一つの「アイコン」(象徴)が「ケリー」バッグです。この「ケリー」バッグの歴史は、1892年までさかのぼります。その年の日本は、明治25年で、大日本帝国憲法が発布され3年が経過した頃です。
この1892年、2代目社長のシャルル?エミール?エルメスが、バッグの最初のプロトタイプ「オータクロア」(Haut à courroies)をデザインしました。もともと、馬の鞍(くら)を入れるためにデザインされたバッグです。1837年のエルメスの創業から培ってきた馬具工房としてのノウハウとスピリットがすべて注ぎ込まれたバッグの原点が、このオータクロアです。
歴史をたどれば、エルメスは、ティエリー?エルメス(Thierry Hermès)によって1837年に創設されました。スタートは鞍など高級馬具の工房でした。工房エルメスは馬車の普及によって大きく事業を拡大しました。1867年にはパリ万国博覧会の馬具部門で銀賞を受賞。しかし、やがて、エルメスは時代の変化に直面します。それが、自動車文化の発展にともなう馬車文化の衰退です。ちなみに、アメリカ人は、「Hermès」を「ハーミス」と発音します。
ここで、エルメスのロゴマークについて触れておきましょう。馬具工房からスタートしたエルメスのロゴマークは、馬、馬車、従者が描かれています。このロゴには「主人」の姿がありません。
そこにはエルメスのこだわりが隠されているのです。
エルメスは「主人、つまり主役はあくまでもユーザーにある」という考え方を持っています。つまり、従者は職人、馬車は、エルメスのブランド商品、そして、主人が、エルメスの顧客を示唆しているのです。
エルメス3代目のエミール=モーリス?エルメス(Emile-Maurice Hermes)は、2代目社長のシャルル?エミール?エルメスが創作したオータクロアをヒントに、プレーンでシンプルなバッグをデザインしました。それは、「完璧なハンドバッグが見つからない」という妻の要望に応えるためのバッグでした。一方で、エミール=モーリス?エルメスは、妻のために製作したバッグを通して、働く女性が増加しつつある時代への変化を敏感に感じとっていたのです。彼は、婦人用バッグの製造に光明を見出したのです。
「ブガッティ」「サック?ア?デペッシュ」の誕生!
エルメスは、1920年にハンドバッグ部門を設立。「クージュセリエ」(サドルステッチ)という鞍縫いの技法によって作られたバッグが人気となりました。エルメスは、ファスナーの特許を取得し、世界で初めてバッグにファスナーを取り付けました。1923年に発表されたバッグ「ブガッティ」(Bugatti)(後に「ボリード」(Bolide)に改名)は、まさにそのファスナーが付いた初のモデルでした。
1935年、ロベール?デュマ(Robert Dumas)が1923年のそのバッグをリデザインし、華やかでエレガントなバッグ「Sac à dépêches(サック?ア?デペッシュ)」が誕生しました。義父エミール=モーリス?エルメスを継いで1951年にエルメスの4代目社長なった人物こそがロベール?デュマです。
ちなみに、彼は、エルメスのスカーフである?カレ?(Carre)の発案者でもあります。「カレ」はフランス語で「正方形」を意味します。その名のとおり、エルメスの「カレ」はすべて正方形です。カレの素材はシルクであり、芸術性の高いデザインと鮮やかな色合いがその魅力となっています。
女優グレース?ケリーとエルメス「サック?ア?デペッシュ」
時代が下った1955年、「サスペンスの神様」と称されるアルフレッド?ヒッチコック(Alfred Hitchcock)監督の映画『泥棒成金』(原題:「To Catch a Thief」)が公開されました。この映画にはケーリー?グラント(Cary Grant)と、伝説的な美人女優、グレース?ケリー(Grace Kelly)がキャスティング(配役)されました。
この映画のなかで、著名衣装デザイナー、エディス?ヘッド(Edith Head)は、ケリーが演じる裕福な女性のワードローブの一部としてエルメスの「サック?ア?デペッシュ」(Sac à Dépêches)を選びました。エディス?ヘッドは、アカデミー衣装デザイン賞を何度も受賞した著名衣装デザイナーです。当時、すでにファッション?アイコンとなっていた女優グレース?ケリーは、個人的にもこのバッグをとても気に入りました。彼女が映画の撮影終了後、そのバッグの返却を拒否したというエピソードも残っています。
1956年、グレース?ケリーは、モナコ大公レーニエ3世公と結婚し、モナコ公妃グレースとなりました。結婚して数ヶ月のうちに、モナコ公妃グレースは妊娠しました。
アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィア出身の美人女優が、ヨーロッパのハンサムな王子と結婚したのです。映画のようなストーリーに世界の人々やメディアは熱狂し、パパラッチはどこまでも二人を追いかけました。
グレース?ケリーがバッグでお腹を隠した写真が拡散!
この頃、ケリーは、お気に入りのエルメスの「サック?ア?デペッシュ」を使って、大きくなったお腹をパパラッチやカメラから隠して守りました。その様子を撮影した写真が『ライフ』誌の表紙を飾りました。雑誌を見た世界中のファッショナブルな女性たちが、エルメスのブティックに「ケリーが持っているバッグ」、すなわち「ケリーバッグ」が欲しいと殺到したのです。
こうした「ケリー効果」の結果、「サック?ア?デペッシュ」の売り上げは急上昇しました。約20年後の1977年、エルメスは「サック?ア?デペッシュ」の名称を「ケリー?バッグ」に正式に変更しました。
ケリーバッグは、36枚の革を680本のステッチで縫い上げ、職人の手作業で作られています。この高級ハンドバッグは、現在も、世界中の富裕層、セレブリティ、ファッショナブルな女性たちに愛されています。
エルメスとは「職人のメゾン」
これまで紹介してきたジェーン?バーキンやグレース?ケリーは、今でいうエルメスのアンバサダーだといっていいでしょう。そこで、現在のエルメスのアンバサダーは、誰なのか興味が湧きます。
「エルメスの一番のアンバサダーは職人であり、彼らに会うことが(メゾンのスピリットの)一番の伝え方です」。それが、エルメスの答えです。
エルメスを説明するときに、「職人のメゾン」という言葉が使われます。事実、エルメスの社員約18,000人のうち、3分の1の約6,000人は職人だそうです。その職人たちはパリ郊外パンタンの工房を中心に、メチエ(専門分野)ごとに分かれたフランス国内52箇所の工房で、日々その技を磨いています。
2022年11月、エルメスの生命ともいえる職人たちが、日本の京都にやってきました。その目的は、彼らの「物づくりの技」を披露するためです。京都市京セラ美術館で展覧会「エルメス?イン?ザ?メイキング」が5日間だけ開催されました。
そこでは、乗馬用の鞍から始まり、カレ (スカーフ)、皮革製品、手袋、時計、ジュエリー、磁器、そして製品の修復に至るまで、メゾンを代表する7つのメチエの職人たちがその技を披露したのです。
「メゾン」(maison)とは、フランス語で「家、建物」の意味で、アパレル、ジュエリーなどのファッション業界では、会社や店という意味で使われます。一方、ブランド(brand)は、ある財?サービスを、他の同カテゴリーの財やサービスと区別するための概念です。つまり、ブランドはあくまでも商品?サービスに付随するものなのです。
ともすれば、エルメスのアンバサダーとして、現在でも、ジェーン?バーキンやグレース?ケリーにスポットライトが当たりがちですが、エルメスの最高のアンバサダーは、6,000名の職人、匠(たくみ)たちなのです。ヨーロッパの最高級ブランドビシネスの「真骨頂」(しんこっちょう)、つまり本質はそこにあるのだと、膝を打ちました。
「ピコタン」をゲットするには「エルパト」が大事?
こうしたエルメスの商品は、手に入れにくい極めて希少性の高いモノに分類されます。エルメスのオンライン公式ショップがありますが、掲載の商品のみ購入可能となっており、その公式サイトでは在庫がある商品のみ掲載されています。ちなみに、バーキンやケリーはオンラインショップでの購入はできず、店舗のみでの販売となっているそうです。
これに関連して、日本には「エルパト」という言葉があります。「エルメスパトロール」の略です。バーキンやケリー、ピコタンなどの人気商品を買うために、顧客がエルメスの店舗をパトロールのように何度も訪れることを意味します。ちなみに、「ピコタン」(Picotin)とは、一度に多くの馬のエサを入れるエサ袋「ピコタン」の形状を元にして作ったバッグで、2003年に誕生した人気商品です。
エルメスの商品は入荷数が限られているため、欲しいアイテムを手に入れられるかは、「運次第」といわれています。そこで、多くのエルメスファンたちが千載一遇のチャンスをものにしようと、店舗に何度も足を運び「エルパト」に励んでいるのです。
さて、2022年でいえば、全世界のエルメスの総売上高は約116億ユーロ(約1.8兆円)に達し、前年から20%以上増加しました。こうした好業績のもとで、エルメスが、引き続きその伝統と匠の技を堅持しながら、次にどのような新しい商品戦略を打ち出していくのか、興味は尽きません。今日現在も、多くのファンたちが、期待をふくらませながら、「エルパト」に勤しんでいることでしょう!