好奇心のままに飛び込んだ日米学生会議
私が本格的に英語と向き合い始めたのは大学生の時でした。海外で活躍していた叔父に国際基督教大学(ICU)を紹介され、今まで過ごしていた世界とまるで違う生活が送れると思い、志望しました。ただ、英語をそこまで得意としていなかった私にとって、最初の一年間は毎日英語漬けで正直苦しかったです。対照的に周りの学生は帰国子女やミッション系の学校出身の人が多く、発音もネイティブのように綺麗で気後れしたことを覚えています。このまま英語ができず落ちこぼれるのも面白くないため、ちょっと違うことをやってみようと思い、参加したのが日米学生会議です。日本とアメリカの学生が毎年交互にお互いの国を行き来しながら、移動しながら一月ほど合宿をして、文化や両国の問題を議論する学生団体です。当時、ポスターを学校のバス停で見て、アメリカの学生といろんな議論に参加できるのではないかと思い、飛び込みました。20歳のときに初めてアメリカを訪れ東京に戻った後、翌年アメリカ人学生を迎えいれる実行委員会のメンバーになりました。グループ討議はおろかバスに時間どおり確実に乗車してもらえるよう伝えるだけでも、当時の私にはハードルが高かったです。しかし、英語でコミュニケーションをとらなければならない状況に追い込まれたからこそ、英語はずいぶん上達しました。
ネイティブの学生たちとの心の通い合い
英語が上達した要因は他にもありました。ICUのキャンパスの中心に大学教会があり、美しいパイプオルガンの音色に惹かれて教会礼拝に通うようになりました。普通にキャンパスライフを送っているだけでは出会うことがなかった海外から来ている先生や留学生との集まりもありました。そこで一人のガーナ人留学生と出会い、仲良くなりました。そのガーナ人留学生は裕福な家庭だったのですが、母国でクーデタがあったことがきっかけで、突如無一文になってしまいました。その学生を助けるために、仲間で募金やバザー、文化祭での物販をすることでサポートしました。困っている仲間を支援したいという気持ちがあったから、自然と留学生との英語でのコミュニケーションが増えました。
またロータリークラブの奨学金を得て、アメリカのジョージア州に公立カレッジに留学をしました。英語力の問題だけでなく南部訛りにも当初は慣れず、授業についていくことが大変でした。授業をテープで録音してみたり、時間を人の2倍かけてもわからないことがありました。そのうち友達ができました。日本に興味を持ってくれていたので、私は日本について教える代わりに、その友達から授業の内容をわかり易く教えてもらいました。その一年だけで英語はさらに上達しました。
当時は言っていることが伝わらない、言われていることがわからない等困ったことがありましたけれど、結局は気持ちの問題でした。
辛い経験から学んだ 7年間のイギリス駐在
大学卒業後は海外で仕事をしたいと思い、東京銀行に就職しました。東京銀行は当時、都市銀行の中でも唯一外国為替を取り扱っており、国内よりも海外に多く店舗がありました。一番苦労したのは7年間イギリスに駐在していたときです。35歳でチームリーダーとして赴任した部署は、部下はみんなイギリス人でした。彼らの思いをどう聞いて、どう指揮していくか、そういったコミュニケーションを今まで取ったことがありませんでした。部下が辞め、人間関係が上手くいかなかったこともあったので、最初の数年は本当に苦労しました。それでも、そこで学んだことは、あくまでも英語はサバイバルツール、何を伝え、相手に対して、どれだけ心を通わせて真摯に向き合えるかが重要であり、その真剣さは必ず相手に伝わるということです。
文法でも発音でもない、コンテンツの重要性
英語でのプレゼンにおいて一番重要なのは細かい文法や発音ではなく、何を伝えたいか、その「コンテンツ」です。さらにパッションがあれば、誰からでもインパクトのあるプレゼンだと思ってもらえるはずです。私自身を振り返っても、文法も怪しく発音も大して綺麗ではありませんでした。しかし、伝えたいことがあって発言したときには、競争の激しいMBAでもクラスメートは耳を傾けてくれました。それが私の出発点でもありました。
「コンテンツ」が重要なのはビジネスでも同じです。興味を持ってもらえるコンテンツをどれだけ持っているか。ビジネスだけの話をしているだけでは、ビジネスはできません。私がイギリスに駐在していた時のビジネスパートナー達はアートに造詣があったり、スポーツマンであったりしました。歴史やアートあるいは趣味の鉄道ネタでも、いろんな分野に興味を持って意見を言えることは、会話を膨らませ「この人面白いな、教養あるな。」と思わせ、ビジネスの話にも踏み込んでくる。仕事以外でのキラーコンテンツや、さまざまなことに対しての素養が必要となります。
学生のみなさんへ
最近は内向き志向になっており、セーフティーゾーンからでない学生が多いように感じられます。確かにセーフティーゾーンから出ることは、大変勇気のいることではあります。私も興味本位で学生会議に飛び込んでみては英語が通じなかったり、東京銀行に就職して留学をしても、意思疎通がなかなかできなかったりと大変でした。それでも悶々としているよりは、何かをやってみると道が開けるというのが私の人生でした。だからこそ、若い皆さんには、もう少し積極的になって、セーフティーゾーンから出てチャレンジしていただきたいと思います。
とにかく臆せず、伝えたいことがある人はこのコンテストに応募してください。コンテストに出たことを誇りに思ってほしいですし、達成感があったという経験が自分を強くするはずです。